Page you are viewing now

Home > Blog > モーニング懺悔


Blog

26 July 2012

モーニング懺悔

生きてると何かと色んな岐路に直面するわけで、
それらは大小関わらず時間関係なくやってくるわけで、
その度に我々は自分の意思で選択していく。

自分で選択しなければ自分に責任は無いので
結果が意に沿わなくても全て人のせいにしてしまえば
残念だったね、で終わるんだろうが
そんなの自分の人生とは言えない。

良いか悪いかは別として
私は物心ついたころから全て自分で選択して生きてきた。
それ故の苦悩も多々あったし、今もこれからもきっと一生付きまとうんだろうけど
自分の失敗くらい自分で受け止められるくらいの人間になりたいから。

 

自分で選択して生きていく上で私が大事にするのは直感と動物的本能。

これは人間誰もが生まれ持っているものだと私は信じている。
ただ、この俗な世界の中にいるとそれらは間違いなく鈍る。

人が本質を見せられない世の中になっちゃったから、
嘘に嘘を重ねた、ただ綺麗に見えるだけの虚像の社会だから、
直感と動物的本能は通用しない。

 

情報ツールに溢れているこの俗世は、人々に考えたり感じたりさせる余地を与えないよね。
テレビで政治家がそう言ってるから、新聞にそう書いてあるから、
それだけで、人々はそんな気になる。
直感や本能はほぼ置き去り。

人を信じるのは大いに素晴らしい事だと思うが、
自分の意思を持たずに信じ過ぎる頼り過ぎるのは恐ろしい事じゃないかと思う。

例えば、突然の大災害に人々はただパニクる事しかできないが、
テレビもラジオも新聞もない環境で暮らしている動物達はどうだろうか。

 

だから常日頃から人間が本来持っているであろう直感と動物的本能を
研ぎ澄ませておく必要があると、私は心底思う。

なぜならこんな事を豪語している私ですら俗世にまやかされ
本質を見失い間違った選択をしてしまうからだ。

 

全力で真っ直ぐ生きてる人間に必要とされた時に、
余計な事を考え、余計な計算をし、本質で向き合えなかった事の代償は
想像以上に大きかった。

何が正しいか分からなくなった時、何を選べばいいか分からなくなった時は、
素直に自分の心に従えばいいだけって分かってたのにな。

 

 

 


Page top


普通とは何ぞや。私の思想、好きな物、趣味、行動と、性別、年齢、職業がリンクしないらしく、昔からよく普通じゃないと言われる。綺麗にドレスアップして軽トラでパーティーへ出掛けることも、パジャマのままオープンカーに飛び乗りスーパーへ買い物行くことも、運転が難しい旧車に乗ることもバイクに乗ることも、午前中はカメラの前で仕事して午後は漁港で海人のおじさん達に混じって酒を飲むことも、ぐちゃぐちゃに汚くなって海で遊ぶことも、血まみれ傷だらけになりながらサーフィンすることも、Tシャツ短パンぞうりに大きなバックパック一つでビジネスクラスに乗ることも、今日は五つ星ホテル明日は一泊500円の安宿でに泊まることも、一人で旅をすることも、全てやりたいこと、好きなことをやってるだけ。

一般的に言われるいわゆる普通である必要も、人々が勝手に作り出した枠にはまる必要もない。こんな生き方してればそりゃ妬みやっかみは免れないけど、これは別に私が特別な才能を持ってるわけでも、人よりお金を持ってるわけでもない。ただ欲張りで、好奇心旺盛で、生きてる間に自分がやりたい事に貪欲なだけである。人生一度きりだから。

x